Wieder was gelernt!

―考えることを諦めない―

こころ?

 

カウンセリングをしてくれる心理士さんは、たくさん比喩を用いて気持ちを整理してくれます。今回、なるほどと思ったことを紹介したいと思います。

 

悩むことだって、やる気だって、気持ちのアップダウンは、どんな人にもあることです。(みんな悩んでるんだからって言われると、分かってくれない、いや分かってもらえる訳ないって思いますよね。)気分障害を患っている人にとって、とても敏感なところです。

 

では、実際何が違うかと言うと、「こころの弾力性」が無くなるのです。例えるならゴムです。びよーんと伸びるゴム。一般的な人は落ち込んでもまたびよーんと戻りますが、気分障害の人は、それが硬くなって戻りにくくなっています。そうすると、落ち込んだら落ち込んだまま引きずってしまうことになりますよね。そこで、少しでも弾力性を取り戻すために治療というものが必要なんだとか。 

 

そもそも「こころ」という言葉自体が比喩的ですね。故にドイツ語にするのも難しいそうです。一番近くてHerzgeistでしょうか。こころは難しいです。

 

 

『躁うつ病とつきあう(第3版)』読了

 

加藤忠史『躁うつ病とつきあう[第3版]』日本評論社(2013年)を読了しました。

概要

躁うつ病双極性障害)の研究を第一線で行っている、加藤雅史先生*1の本です。

一般書。ソフトカバー(paperback)。全部で17章+付録。

各章は短いので読むにあたって苦になりません。1章から17章は、各章で異なった患者さんの症例を取り上げています。最後に付録があり、「躁うつ病とはなにか」という医学的知識(治療法や薬など)やその他の対処法についてフォローしています。(続きを読むというところに目次を記しておきました)

雑感

双極性障害について本の中では、初級に位置づけられます。

各章が短いのに加え、文体も柔らかいので読みやすかったです。

まず、双極性障害も精神病なんだなあと思わせる、はたから見るとおかしなエピソードがたくさんあります。この点、躁うつ病=双極性傷害Ⅰ型である*2と考えるとすると当然ながら、重症例が多くなっているように思えます。したがって、私をはじめ双極Ⅱ型の人には、他人事のようにさえ感じてしまう訳です。もしくは、読者の関心を惹くためにインパクトのある症例を選んでるのかなと思うかもしれません。

もっとも、意図的に抽出されたエピソードを掲載しているため、自分が当てはまると言える話は―病識がなければもちろんですが―むしろ少ないかもしれません。逆を言えば、Ⅰ型とⅡ型が別物であるという認識にさせてくれます。そこのところは専門書でないので、「こういう人もいるんだな」くらいの軽く読み飛ばす感覚でいいです。

そして、各章にはテーマがあり、滋賀医科大にお勤めのときのエピソードなどを、テーマに沿って説明しています。初心者の方は、読み物として読みつつ、テーマに関する最低限の知識を拾うのに有用でしょう。病気について知ろうとしている方には物足りない仕上がりですが、本書の趣旨は、症例を通じてその症状を知り、双極性障害とつきあうのがいかに困難かということを考え、理解し、つきあう方法を模索する一材料となることだと思います。このことは、家族や職場の上司が登場する章があることからも伺えるでしょう。

まだ発展途上な躁うつ病の治療(執筆当時は言うまでも無い)に対して、加藤先生が懸命に試行錯誤していて、人柄が伝わってきましたし、現場における医者から見た視点を少し共有してくれる、そんな本でした。

本当の自分はどこに?

 

躁病相のとき

躁の状態で怒り狂って恋人を傷つけてしまったことがあります。

病気のことは伝えてあります。

けど、ただ病気で暴言を吐くにしても、そこに「本音」が含まれているんじゃないかって思い、それが耐えられないと言われました。 そうして怒られ、傷つけられると、本当の私の魅力さえ見失ってしまうと告げられたのです。

 

本音は含まれているのか

たしかに、その時の本音はそうなのかもしれません。いつも自分が正しいと思い込んで突っかかって行きます。しかし、たいていの場合、後で後悔します。

だとしたら、本心はどこにあるのでしょうか。認知症の方がものを忘れて暴言を吐いたとき、この人は本当はこんな人だったのかと感じるのと同じような感覚になります。

 

本音が移り変わる

一般に、本心は変わることはあっても矛盾なくあると考えられます。そして、そこから発せられる本音は、親しい人に限られることが多いと思います。自分の本心を見せるのですから。

他人には、建前を使って話すということを考えれば分かります。建前には嘘や偽りも含まれるから、親しい人にはほぼ使いません。なにか表面的なものです。

しかし、双極性障害の場合、本音がころころ変わるかなって思います。特に、ウルトララピッドサイクラーの人は。

本心から発せられるのに、なぜころころ変わるのでしょうか。

双極性障害は、気分障害の一種なので、気分(mood)が大きな要因なのでしょう。認知の歪み(cognitive distortion)も重なるかもしれません。双極性障害の人は、一番の気分屋さんですね。

 

正しい本音は?

じゃあ、どの本音が正しいのでしょうか。正常な安定した精神状態の本音は、本心と言えるでしょう。そうだとすれば、それは、いつ、どうしたら分かるのでしょうか。

ラピッドサイクリング(急速交代)していたら、分からないかもしれません。本心が分かっても、狼少年のごとく周りに信じてもらえないかもしれません。

また、正常な精神状態が分かっているとしても、本音が移り変わることによって、自分さえ本心を見失うのではないかと思うのです。そうすると、「本当の自分」が分からなくなり、嫌になります(自己嫌悪)。

 

この単純そうで複雑な気分の障害を、どこまで自分が理解するか、そして周りに理解して貰えるか。そこに対人関係のポイントが少しあるように思えます。

 

 

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